教育哲学研究
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宮本健市郎著『アメリカ進歩主義教授理論の形成過程-教育における個性尊重は何を意味してきたか-』
佐藤 隆之
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2006 年 2006 巻 94 号 p. 114-121

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抄録

批判も少なくないなか、それでも廃れることなく、いまなお個性教育をめぐる主張や解釈が連綿と繰り出されている。この現状をみるにつけ、「今日、 “個性” という言葉は麻薬のような働きをもっている」 (iii頁) という本書の冒頭を飾る一文に、共感を覚える読者も少なくないだろう。そのような状況において、「教育における個性尊重は何を意味するか」という問いに答えることは容易ではない。
それでは、過去についてはどうか。とくにわが国に直接間接に影響を与えてきたアメリカの進歩主義教育における個性教育の遺産について、私たちはどこまで理解しているのだろうか。過去を清算しきれないままに新たな言説を上積みすることにより、個性教育をめぐる理解や事態をますます混乱させ、生産的な議論を難しくしてはいないか。その遺産から個性教育について示唆をえようとすることそれ自体は目新しい試みではないにせよ、多種多様なその改革の思想、目的、方法、実践、結果などを検討し、それらを総括して進歩主義教育ならではの特徴を解明することは、今なお課題として残されているといってよいだろう。本書の副題に掲げられる「教育における個性尊重は何を意味してきたか」という問いに答えることは、それが個性という「麻薬」に対する解毒剤を手にするうえでの鍵を握ることは重々承知していても、その対象の大きさやとらえ難さゆえに、やはり容易ではないのである。
著者の宮本氏はこれまで、「個性尊重の教育」というテーマに、アメリカ進歩主義教育を主たる対象として一貫して取り組んでこられた。その研究成果の集大成として、二〇〇三年一二月、京都大学に提出された学位論文である本書は、その難問に真正面から挑んだ労作である。
本研究の直接の課題は、「個性概念」の明確化と、「一斉授業の改革としての個別化・個性化の思想と実践の系譜」の解明にある (四頁) 。ここに示されるとおり、浩潮な本書の考察を貫く視点であり対象となっているのは、教育の個別化・個性化である。詳しくいえばそれは、「学年と学級を定め、一人の教師が多数の生徒を対象に、同一の教材を一斉に教授するという一斉教授の方法」 (=「学級一斉教授」) の画一性や受動性を批判し、個々の個人差や自発性に応えることをめざして開発が進められた方法である (五-六頁) 。そのうち、個別化とは、「ひとりひとりの個人差に応ずるために教育方法の画一性を打破する」方法であり、個性化とは、「子どもひとりひとりの能動性を保障する」方法と定義される (七頁) 。
本書の内容やその特徴について解説をくわえる前にまず、課題とされる「個別化・個性化の思想と実践」について簡単にふれておきたい。それは長年の研究の蓄積から導出された著者ならではの着想に支えられており、本書のねらいや意義を体現していると考えられるからである。第一に、この簡にして要を得た独自の視点に考察全体が貫かれていることにより、多彩であるがゆえに錯綜している進歩主義教育における個性教育の理論や展開が、包括的に論じられている。第二に、個別化・個性化の「思想と実践」を考察の対象とするとあるとおり、教授理論の基底にある「思想」にまで踏み込む精緻な検討が展開されている。それにより、個性教育のルーツをひもとき、整理しながら、その原理や特質が照射されている。第三に、その「思想」とならんで重点がおかれている「実践」とは、授業実践ではなく、教育に関わる行政、政策、制度、理論などを包括している (v頁) 。本研究はこの広義の実践に注視した「教育実践学」の成果であり、教育現場を強く意識しながら、個性教育の実態について多面的に切り込む論考となっている。そのため、著者は安易に過去を現代に結びつけることはしないが、現代の教育実践にきわめて示唆的な内容となっている。最後に、その思想と実践の分析にあたっては、著作・論文以外に、統計、報告書、時間割、授業案などを含む膨大な史料が収集されている。それに基づいた実証的考察は、説得力に富んでいる。 (その一端をなす貴重な写真や雑誌は二〇頁にわたって巻末に掲載され、本書の論考を補完するとともに興趣を添えている。本文と併せてご覧いただきたい。)
以上の諸点に特徴が認められる課題について、次のような構成で考察が展開されている。紙幅の関係から節以下は省略して示す。

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