スポーツ社会学研究
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差異を乗り越えるものとしてのスポーツ
スポーツにおける文化帝国主義とグローバル文化の可能性
西山 哲郎
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2001 年 9 巻 p. 106-118,138

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抄録

時にスポーツは、それを文化産業の一つとして理解する立場から文化帝国主義の道具として批判されることがある。「柔道の国際化・スポーツ化にともなって、武道の精神が失われた」というような言説は、スポーツをめぐる文化帝国主義批判のほんの一例にすぎない。これに対して、スポーツを人類普遍の共有財産と考え、それが文化摩擦を低減し、融和をもたらしてくれることを期待する立場も存在する。これら二つの立場は、ある意味で、同じ一つの現象を別の角度から眺めたことから生じたと考えることができるだろう。その現象とはつまり、現在、我々の生活をミクロなレベルからマクロなレベルまで全面的に変化させようとしているグローバリゼーションのことである。
かつてフレデリック・ジェイムソンが述べたように、グローバリゼーションに直面する我々の精神は、我々一人一人がその主体として取り込まれている、多国籍にわたる、脱中心化されたコミュニケーションのネットワークの地図を描くことができないでいる。その困惑がスポーツに関して表明されたものが、先の二つの立場の交錯なのである。筆者はスポーツとグローバリゼーションの関係を考える中で、前者が後者によってその存在を規定されていることを認めるものである。しかしながら、スポーツという文化実践は単にそれだけにはとどまらない。歴史的に見ても、それは端緒から社会システムの全体主義に抵抗する諸主体を形成する「新しい社会運動」の先駆けであった。
本稿は、スポーツという文化実践が、人々を分断する様々な差異を乗り越えるきっかけを提供するものでありながら、同時にその多様性を抑圧しないものであるにはどうしたら良いのかを考察するものである。

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